マルーセルマルソーと谷正一のおもてなし パントマイムが日本に広がった理由。 2018 08/28 Updated 2018.09.02 2018 08/28 Published 2018.08.28 / Tera \ この記事を共有 / B! リンクをコピーする マルーセルマルソーと谷正一のおもてなし パントマイムが日本に広がった理由... Tera B! リンクをコピーする 1950年の事、毎日新聞の谷正一氏は、日本最初の民間放送会社「新日本放送」を立ち上げた人。その後、番組収録ホール「ビデオホール」を有楽町に設立して経営者となり、事業を軌道に乗せていく。 ビデオホールをメジャーにするために、招聘したのが、マルセル・マルソー。パントマイムの第一人者である。 そのとき、小谷氏が自分の部下にあることを命じた。夫に同伴して日本にやってきたマルソー夫人に同行して、銀座や浅草での買い物につきそう事。そして、買い物をする時にどちらにしようかと迷うことがあったら、迷った末に選ばなかったほうを全て記録する事。 小谷氏は、あとで部下からその報告を受けた。 そして、マルソー夫妻が羽田を発つ時に、夫人が迷って買わなかったほうの商品を全部まとめて箱に入れてプレゼントした。 夫人が大喜びしたことは言うまでもなく、それを見たマルソー氏は、「コタニの招きならいつでも日本に来る」と言い残して日本を発ったという。 おもてなしの達人ですね。