私の想像の翼は、はばたき続ける(6月12日)
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私の想像の翼は、はばたき続ける(6月12日)
●今日の「クイズ」は・・・
私の想像の翼は、
閉じ込められても、
閉じ込められても、
はばたき続ける。
さて、これは誰の言葉でしょうか。
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●答え
アンネフランク。
1942年の今日、ユダヤ人の少女アンネ・フランクによって「アンネの日記」が書き始められました。
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●このお話、どう「いかし」ますか?
Dr.テラなら・・・
想像、それは自由。
どんな状況でも、思うことは自由。
物理的な空間にとらわれない想像の世界。
ゆっくり、思いを広げたいですね。
アンネは隠れ家のことを、その形から
『ヘット・アハターハウス(オランダ語: Het Achterhuis)
と呼んでいたそうです。
直訳すると「後ろの家」。
これが、オランダ語版の日記のタイトルになったそうです。
生き残った、父オットーが出版しました。
最初の出版は、一部の内容がカットされています。
それは、母親への愚痴などの部分。
ナチスへの不満だけでなく、母親への愚痴や不満。
「とにかくママが我慢ならない」
「パパの手伝いならいくらでもやるけど、ママの手伝いなんてごめんです」など。
隠れ家には、フランク一家4人、ファン・ペルス一家3人、歯科医のフリッツ・プフェファーの計8人が暮らしていました。
見つかれば収容所に連れていかれるという恐怖のなか、昼間は事務所の人にばれないよう、カーテンは閉めたまま静かに過ごし、トイレの使用さえ時間を制限されていたのです。
狭い隠れ家に8人もいれば、アンネと母のケンカだけでなく、さまざまな人間関係が起きてもしょうがないと思います。
前向きな話としては、アンネは一緒に隠れ家で暮らすペーターに恋をします。
ペーターと初めてキスをした日を、「わたしの一生の、とても重要な日だ」と記しています。
当時、彼女は15歳。普通の女の子です。
アンネは、戦争後に、自分の日記を出版しようと考えていたようです。
これが、素晴らしい。
そうした目的があれば、ただ記録しているのは違って、強いモチベーションが生まれますよね。
あなたも、ご自身の手記、記録を、のちに出版しようと思って記してみませんか?