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【資料】創作ケース:クラウドベンチャー株式会社~A4 2まいのストーリーが、倫理観を揺さぶる。あなたが、木下さんの立場だったらどうする?

    
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【資料】創作ケース:クラウドベンチャー株式会社~A4 2まいのストーリー...

クラウドベンチャー株式会社

「卒業すれば、中小企業診断士の資格がとれる『コンサルタント養成講座』(日本型MBAコース 全日制半年コース)に通ったのは、私が銀行に勤めているときでした。行内の選抜テストに合格して企業派遣で参加しました。そのとき私は28才、家には妻と生まれたばかりの子供がいました。半年後には、銀行に戻りサラリーマンを続ける予定でしたが、学んでいるうちに面白くなり、自分自身で経営をしたいという気持ちが強くなりました。これは人生を見直すよい機会であると考え、結局、銀行には違約金(講座受講料の半額)を支払い退社、続けて『コンサルタント・マスター講座』(全日制1年コース)を自費で受講しました。卒業後は、自分で起業したかったのですが、まだ経験も浅く、コンサルタント会社か、ベンチャー企業に勤めたいと考えるようになりました。そんなとき、クラウドベンチャー株式会社に出会ったのです」
木下誠一さんは、そう語った。

クラウドベンチャー株式会社は、もともと、グループウエア(企業内のスケジュールやタスク共有をするソフト)「ニコニコノート」を開発し販売するソフトウエア会社だ。「ニコニコノート」自体は、標準的なプログラムであるが、会社ごとにカスタマイズして提供するサービスに特徴があり急成長。社長の松田通二の強い個性もあり、業界トップのシェアを誇るベンチャー企業として、ここ数年、頻繁に経営雑誌にも取り上げられるようになった。社員数は70人。本社は東京四谷にある。
「働き方改革」の流れをうけて、単なるソフトウエアの提供だけでなく、数年前から、付加価値の高いコンサルタント業務に進出。今後の拡大をめざして株式公開を考えていた。

『コンサルタント・マスター講座』を受講していた木下さんは、あと数か月で卒業という頃、たまたま機会を得て、松田社長と会うことになった。木下さんは言う。
「松田社長は、知的でエネルギッシュなイメージの方でした。こういう方がベンチャー経営者として成功するんだなあという気持ちで接していたのを憶えています。話も盛り上がり、株式公開を目指しているから上場準備の仕事をしないかという話になりました。経営の勉強にもなるし願ってもないことだと考えたんです」

クラウドベンチャー株式会社で仕事をすることに決めた木下さんは、講座受講中から週1回、会社に顔を出し、アルバイトをしながら会社の業務をおぼえていった。当時、上場準備の中心は、銀行から出向していた管理部長が担っていたが、社長との方針があわず退社した。木下さんは「上場準備は大変な仕事なんだ」と、座学の違いを肌で感じていた。
卒業後、木下さんは管理部長として入社し、証券会社からの出向者と、現場をよく知っているプロパー社員との3人で上場準備の仕事を進めていくことになった。この他、会計事務所やベンチャーキャピタルからの専門家が来社して公開の任にあたっていた。

一番の仕事は、株式公開基準に合致するような制度をつくり、規定を整備することだ。上場企業には、株主保護の観点からディスクロージャー(公開責任)が求められる。
取締役会規定、組織規定、職務分掌規定、稟議書規定、経理規定、原価計算規定などの整理が必要で、上場前には、それらの規定にそった経営が、少なくとも半年間は運用されているという実績が必要だ。
とくに、月次決算が求められており、そのためには、月単位での売上、原価、棚卸資産の確定が必要だ。しかし、クラウドベンチャー会社は予実管理もあいまいで、一言で言うと社長のどんぶり勘定だった。売上については、検収基準(顧客が認めた時点で当社の売上を計上する基準)であれば、顧客との売掛残高があうのだが、当社は出荷基準(顧客に引き渡した時点で売上を計上する基準)であるため一致しない。原価計算も、プロジェクトごとの管理はしていたが、月末締めでの確定があいまいだった。原価参入すべきソフトウエアの生産と、コンサルタントというサービス事業が混在していることも、あいまいさに拍車をかけていた。

松田社長の方針で、これまで、全社的な視点で経営をみる社員は育ててこなかった。社員の9割をしめる技術者に対しては「それぞれの専門技術を磨き上げることが第一だ。それこそが事業を拡大させる鍵だ」と話していた。同様に、営業部門と技術部門も、それぞれ競争することで事業が成長すると考えており、成績を求められる営業マンは、生産能力をこえる受注をとってきたり、納入すれば確実に入金に繋がる案件が、飛び込みで優先される工程管理が行われていた。購買・外注管理については、コストダウンが強く求められ、決裁権は部長クラスとなっていたが、実質は、社長の了解が必要だった。

給与は、他社と比べて高水準だった。社長がすべて決定していた。残業は日常茶飯事で、日付が変わっても事務所の灯りがついていた。社長自身が仕事にのめり込み、時間を忘れることもしばしばあり、重要な会議が夜遅くから開始されることもあった。

上場準備を進めていく中で、木下さんには困難な事があった。
「社長自身が、売上計上している事が問題でした。社長が決めた数字を経理が使っており、会計士からも指摘されてきたのですが、中々、修正されません。社員の大多数はイエスマンで、もともと技術屋集団ですから、こうしたことに関心を示しません。社長は、公開基準スレスレで通ればよいとの考え方で急いでいます。早くキャピタルゲインを得て、個人資産を増やしたいのかもしれません。」

「1年後に公開」を旗印にしているが、その前に新制度で半年間運用しなければならない。そう考えると、客観的には厳しい状況だ。
木下さんは言う。
「経営に関する権限委譲について、社長は否定的です。以前、優秀な技術者が他社に引き抜かれた経験があり、社員は各自の持ち分だけをしっかりやるべきだという考えが根付いているのです。棚卸業務などは、もとは、社長だけがやっていました。今は、我々がやっていますが、社長の了解を得ないで行ったときは大目玉をくらいました。内情が明らかになることがまずいのです。期末に本当に資産が実在したかどうか責任が持てませんでした。こうした人間関係がイヤで会社を辞めていく者も多数おりました。」
さらに、
「社長は、もともと技術者として優秀でした。発想力もずば抜けておりここまで成長させてこられたのも、そんな社長だったからです。しかし、それは5年前までの話。日進月歩で進むこの業界では、正直、社長の技術力は時代遅れです。すでに、より便利で安価なシステムも登場し業界競争が厳しくなっています。継続顧客は簡単に乗り換えないと思いますが、新規案件で負けてしまうことも多く、当社の売上も低下傾向にあります。」

問題を抱えながらも、形式的には上場準備を整えた木下さんたち。公開条件に適合する制度はほぼ設計され、残された大きな課題は、社長の納得を得て運用を始めることだった。
水面下で社員の話を聞いて、いろいろ施策を考えた木下さんたち3人は、結局「クビをかけて社長に直談判する」しかないという結論にいきついた。

そうこうしているうち、2つの事件がおきた。
1つは、上場準備メンバーの1人、プロパー社員が説明に行っているときに、社長から、熱いお茶をかけられたことだ。社長室からの悲鳴を聞いて驚いた社員が止めに入ったので、それ以上の展開にはならなかったが、首筋に軽い火傷をおってしまった。
もう1つは、将来の事業計画を作成していた木下さん自身が、重大な発見をしてしまったことだ。反社会的勢力との関係チェックを行っていたところ、取引額が一番の外注先に黒い噂を見つけた。さらに、社長との癒着の噂も耳にした。ただ、かなり安価で取引しているので、他社に切り替えるとコストアップになり、4割の案件が赤字に転落する。そうなると、2年後には資金ショートの可能性もあることがわかった。
お茶をかけられた社員は、先日、退職してしまった。代わりに、ソフトウエアの企画第一部長が、上場準備メンバーに加わることになった。

(質 問)
問1 木下さんは、どのような問題に直面しているでしょうか。
問2 松田社長の経営のやり方を、あなたは、どのように考えますか。
問3 木下さんは、今後どうすべきでしょうか。
ケースに登場する固有名詞などはすべて架空のものです。

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